共感と未来を読むこと

ファッションは共感です。ファッションデザイナーの仕事は未来を読むこと。そんなデザイナー2人に言われた言葉。ファッションとお洒落がメインです。

絶・絶命展と絶命するデザイナー

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絶・絶命展。

リトゥンアフターワーズの山縣氏とミキオサカベの坂部氏プロデュースの展示に凸してきたよ。
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ここのがっこう関係者がメインでしたね。
さて、絶・絶命展の疑問。
三部構成で生の日→死の日→生の日という流れで展示内容が変わります。
最初の生の日を見ただけなのでこの考察は変わる可能性があります。
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この生の日→死の日→生の日という流れは前回の絶命展と同様です。
生の日が実際に生きている人がモデルとなり、死の日はマネキン、またモデルという流れ。

ファッションは、なまものなんだと言う発言に対して、前回と同じ流れというのはどうなんだろう?
続編だから同じ事をやったっていう解釈でいいんですかね…それとも成長したということ?
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生の日なのにマネキンにいくつか着せてあってそこも疑問です。
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しかも一番広い空間。
洋服のクオリティ高いなってこれ、三木勘也氏の学生の頃の作品ですね。それこそ10年以上前の。
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2014年に「KanyaMiki」でブランドを再スタートしているようですが、それゆえに余計に思ってしまう。

『ファッション=なまもの?』

実際に凄い洋服です、展示するべきレベルの。
実際に展示された中でもトップクラスのレベルでしたが、2014年のデザインならともかく、10年以上前の作品を引っ張り出す必要性が疑問です。
死の日ならまだしも。

生の日でもいる間、ほぼ動かないモデルがいるブースも。
これは呼吸を感じろって事ですか?
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チャリ漕いで電力作る作品とボタンを押すとモデルが出て来る演出をした、ふたつくらいじゃないですかね、きちんと生を感じれたのは。
あとはマネキンで代用出来たんじゃないかと。

モデルが着用していなくても作業映像を流していた荒井氏の作品。理に適ってる。
これは、はき心地を考えなければかなり素敵な作品。
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もちろんいる時間によっては動いたり、モデルさん休憩のために変更したりする時に動くと思いますが。
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絶命するデザイナー達。

前回の絶命展でデビューしたアリコーンというブランド、今回参加していません。洋服としては絶命展以降は大した活動していないはず。

そして、ここのがっこうを実質的に有名にしたタカシニシヤマ。ITSのコンテストでグランプリを取り、その後ITSでショーをやり、マンゴーのコンテストに出したりしていますが、現在目立った活動をしていません。

そういう意味でも絶命という意味を感じられるかと。
新人は3年保てばいいと言われる業界で。

もちろん、ここのがっこうを卒業しても活動を続けている人々もいます。

注目しているのは、tiitの岩田氏やセコリギャラリーの宮浦氏。

tiit

セコリギャラリー

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死の日も含め、今回参加しているデザイナーの今後に注目したいと思います。



絶・絶命展〜ファッションとの遭遇
〜2015年3月30日