戦争は服を進化させる。そしてお洒落を殺す。
はい、懐かしの母校です、博物館は久々に来ました、日本指折りの服飾博物館です、あとは神戸にしかないけどね。
こんな言葉があります。
「戦争は服を進化させる。」
トレンチコートとかまさにそうでしょう。
名残がいくつも残ったデザインですね、知らない人は知らないままでもいいくらい。
今回はそういう服と戦争の関係について。
と言っても全部の解説は出来ないし、博物館の気になった所を紹介します。
最初にトレンチコートに触れましたが、今回は触れません(笑)
何故なら博物館になかったから。
まず、ミリタリーと言えばカーキ色でしょう、これが採用されたのは1904年。
今から100年以上前ですね、そこからこのミリタリーのイメージカラーになります。
冒頭に文化服装学院についてちょっと触れたので当時の歴史を。
知らなかったんですが1945年、終戦の時ですね、校舎焼失してます。
でも、翌年の1946年には授業再開とこの学校強いなって改めて思い知らされる…
さて、大正時代。
男児着物に王冠やビックベン等、イギリスを連想させる柄が入っています、これは日英同盟締結から来ていると言われています。
昭和7〜10年。
女児着物の袖に国旗を持ち兵士を力付ける子供達が、身頃には中国での戦闘風景が。
すでに嫌な気分になるような図案…
昭和12年。
着物に陸・海軍、高射砲等日中戦争の図案が入ります。
1918年、ヴォーグアメリカに日の丸の戦闘機が挿絵に書かれています。
1944年、イギリス。
スカーフの四方に、「鉄は戦車になる。」「ゴムは飛行機になる。」等、資源の供出を呼びかけるスローガンが入っています。
見た時に、うわぁ…ってなりましたね、巻きたくない…
軍服って何時から日本にあるのか?
少なくとも本格的に洋服文化が日本でスタートしたのは戦後70年の歴史しかないと言っても過言ではないですが、軍服は明治中期には洋服として日本に存在します。
陸軍を模した子供服は英雄としての憧れさえあったようです。
昭和10〜13年。
七五三では海軍や陸軍の礼装の写しが昭和されています、模した物とはいえ、かなり高価だったようです。
ちなみに袖口のラインで将官や軍医科等を表す役割をしています。
第一次世界大戦(1914〜18年)では女性の社会進出のため、コルセットの締め付けがなくなり、スカートは踝までの活動しやすい格好となります。
1930年代には各国でカーキ色のドレスが作られます。
もちろん軍服をイメージしている事は言うまでもないでしょう。
昭和13年。
軍と外貨を優先するために、綿、羊毛に対する製造・販売制限。
この頃から古着を仕立て直す更生服が登場します。
物資を軍に優先させるために、牛革も禁止に。
結果、水産加工品皮革と呼ばれる物が登場。
鯨、鮫、鮭、鱒、ウツボ、海亀、カエル等、水辺の生き物の革ですね。
鮫革の靴が展示してありましたが、パッと見カッコイイ。
皺の入り方も牛や豚とは違いますが味があって。
ただ、耐久性がないのが現代であまり流通しない大きな理由でしょう。
昭和10〜15年。
この辺で戦争の影響が露骨に出てきます。
着物の需要が落ち込み、輸出制限により和服用反物が市場に余ります。
余った和布で洋服を仕立てていたようです。
昭和14年。
襟、ボタンをなくし、スカート丈もやや短くなるなど、生地をより節約したデザインへ。
物資不足がデザインにも影響してきます。
この辺は戦争が服を進化させるという言葉とは逆に服を退化させている気がします。
博物館で見た中でも空気感がとても重かった物。
千人針。
実物は初めて見ましたね、兵士の無事を願って色んな人が手拭いに刺す、言うなればお守りのような感覚でしょうか。
千人針が登場したのは日中戦争(昭和12年)以降だと言われています。
「死線(四銭)を越える」って意味で五銭硬化が縫い付けてありました。
本当、戦争で得れる物って何なんだろう?
昭和15〜20年。
防空頭巾の登場です。
空襲に備え、名前、住所、血液型等を書いて縫い付けられています。
昭和15〜18年。
農林省が兎の飼育を呼びかける。
防寒用軍服の材料、航空機の資材になる兎の事を軍用兎と呼ぶ。
政府が動物の飼育を呼びかけるってよっぽどな世界だと思います。
飛行機の資材って事ですが、具体的にはわからず…
昭和15〜20年。
高島屋で販売されたレディーススーツ、一見麻に見えますがテープ状にした紙に撚りをかけた糸を織った物。
紙糸布は鞄、帽子に戦前から、戦時下には様々な洋服となる。
当時の高島屋ですよ?
今の時代よりもよっぽど百貨店が力を持っていた時代。
そこで紙で出来た服が売っているという事実。
現代でもあるんですかね?
服が余っている時代に紙で作る必要がないと思うのでまず特殊な条件でなければ存在しないと思いますが。
昭和17年。
「被服報国」「軍民同装」のスローガンの下、「国民服」や消防活動を妨げない「婦人標準服」が定められ、制度上、衣服の自由が妨げられた。
はい、いよいよ戦争が服を進化させるとは別のベクトルになります。
戦争はお洒落を殺す。
みんなが同じ服装。
それはファッションではなく、まさしく衣料品と呼べる物がでしょう。
みんなが制服着てる状態、それも仕事も休みも関係なく。
最悪ですね。
昭和20年。
ポツダム宣言の受諾。
戦時中の服を着たり、放出した軍服を更生。
いよいよ戦後です。
放出した軍服、戦争終われば必要ないですからね、というより軍隊が解散した形なので、いらない物は当然流れ出ます。
それよりも大きな理由。
単純に物資不足だったんですよね、戦後は。
戦後、休刊していたファッション誌が復刊します。
昭和25年。
文化服装学院青空入学式。
昭和20年代。
羊毛は貴重でした。
学生服はボタンを取り替えて兄弟や親子二代に渡って着続けるのは珍しくありませんでした。
展示されていた学生服は傷んだ表地を裏返して仕立て直していたため、ポケットの位置が左右逆に、元のボタンホールはミシンで塞いでありました。
明らかに現代よりも服を大切にしています。
時代が時代だったからというのはもちろんあるでしょうが、この感覚は現代の人にも知って欲しい、持って欲しい感覚です。
昭和20年代前半。
女性用の上衣は海軍の服をブレードや階級章を取って体格に合うように仕立て直す。
男性用の上衣は陸軍の服を立折襟から開襟に変え、金ボタンを四つ穴ボタンへ。
軍刀を吊るすためのベントも当時の背広に習って縫い合わせてあります。
余った軍服をどう更生服にするか、時代と人にどう合わせるかが見れました。
戦後復刊したファッション誌。
古紙や砕木パルプを利用した低質。
洋服を中心に紹介されるが、物資不足から和服や手持ちの布地を用いた更生服の提案、着まわしの工夫の生地等が中心だったようです。
昭和30年代になると用紙の統制も撤廃されます。
余談、江戸時代は何故、カーキ色やカモフラージュ柄等、目立たない物とはかけ離れていたか?
それは、日本古来の「やーやー、我こそは〜」と名乗り始まる武士同士の武功を競い示す場だったからです。
言うなれば、戦場=ハレ場。
現代でも戦争に表面上のルールはありますが、名乗ってたらその時点で撃たれますからね、江戸時代はヒーローが変身中に絶対攻撃されないのと同じような粋があったんでしょう。
と、これで博物館レポ終了。
まとめ。
戦争は服を進化させるかもしれないけど、お洒落を殺す。
当時と今はそれこそ70年違います、時代も常識も。
もちろん今も戦争用に開発されている服への技術はあります、特にステルス素材は透けるレベル。
友人と話していて考える現代は、洋服とか戦争に関係ないです。
それこそ無人機で爆撃出来るから。
寝起きでパジャマを着たゲーマーが空襲をしてベッドに戻る。
これが今後の戦争でしょう。
もしくは機械その物が服になり得る、戦闘機VS人っていう構図はやる前から勝敗が決まっています。
現在、憲法改正という非常にタイムリーな話題の中でのこの展示でした。
ファッションに戦争がプラスかマイナスか?
それを考えるひとつのきっかけとして是非この展示に行く事を勧めます。
衣服が語る戦争
〜2015年8月31日