ミナ ヘルポネン
現在スパイラルで開催中のミナ ペルホネン展覧会「ミナカケル」に凸してきたよ。
デザイナー、皆川明氏。
日本の大御所のひとりですね。
ただ、ミナの服を着ている人に出会わないので、正直テキスタイルやライフスタイルに力を入れてるなってくらいの認識で個人的に正直立ち位置が今ひとつわからないブランドでもあります。
直営店も白金台だし、安くはないですしね。
今回も全体的に金かかってるなって作り込みの展示。
直接見た方が早いので、凸してみてください、展示は無料ですので。
ザーッと展示の雰囲気を。
ただこのブランドで唯一大好きな物があります、このレース。
薬品に漬けて周りを溶かしているので実に繊細で面白い柄も作れるという技術、これは流通してるレースとは違うので非常に素敵かつ、このブランドの武器のひとつと言っていいでしょう、そこまで見てる人がいるかはわかりませんが。
ミナ ペルホネン展覧会「ミナカケル」
〜2015年6月7日
ミナ ヘルポネン
服×絵×写真
はるかきみへの展示受注会でもあります。
何が面白いってこれ、絵画を背景に撮影している所。
赤頭巾等の絵本の世界観に入れるコレクション。
ラックにも洋服の代わりにコレクションの写真が展示されてたりします。
その場で試着して撮影、そのまま壁に貼り出すっていうその場で写真展もやっています。
今日までですが、タイミング合う方は是非。
透明な澱
〜2015年5月17日
はるかきみへ
永見由子
asosatoshi
コレクション=フェミニン+マスキュリム
モードビジネスが変わった。
ラグジュアリーマークビジネスが中国から日本マーケットへシフトし直した事の根幹は、モードビジネスも大きくはスーベニティールビジネスであるという事をひとつは再認識。
売り上げの30%足らずですから、出来ればある種のスーベニティール、今、例えば日本のラグジュアリー系もそうですけど、実際に日本で売れている買って下さってる人は中国からの旅行者、あるいは他国からの旅行者、だからファッションスーベニティールをどれだけ自分達のお店の前で取るのか、それだけジャンルが青山のコム・デ・ギャルソンに完全になってしまってますね。
あそこではブランドは知ってる、だけどコム・デ・ギャルソンの東京店に行ったら、こんな知らない物があった、こんなファッションスーベニティールがあったっていうところで入り口にまずあったのがほとんど奥に引っ込んで、バッグだとかいわゆるファッションスーベニティール、コム・デ・ギャルソンで打ち出して集積されているショップになってしまっていると。
という事はこれからのモードビジネスの大きくは広告産業であり、広告産業の実情、スーベニティールっていう分け方しかないですよね。
ラグジュアリーのイメージとクリエーションを実質ビジネスに繋げているのが、パリではサンチェ系と呼ばれていたデパートをメイン顧客として、コピーブランドを束ねているアパレル勢である。
これは日本で言えばある種の大手アパレル。
やっぱり日本、デパートをターゲットにした既製服大手メーカーというようなサンチェ、これは土地の名前なんですけども、日本で言えば、東京で言えばかつての東日本橋、パクってナンボ、出来るだけ上手くパクってそれを自分達のディストリビューションとしてのデパートにそれなりのパクって来て、売るかっていうところ。
これが1980〜90年代、2000年ぐらいまではかなりプレタポルテデザイナーが創造性を前にしてビジネススタイルを広くするために彼等大人しかったんですけども、ここに来てトレンドが経済的なトレンドへ、アーカイブのバリエーションを出して来ると、そのバリエーションを一番沢山持っているところの方が勝つというところではサンチェ系が今売り上げがどんどん伸びています。
だからここ2〜3年パリではちょっと今落ちてきたんですけども、MAJE、SANDOR、サンチェ系のブランドです。
MAJE、SANDORは2〜3年前にソニアリキエルを元ごと全部買って2年持って、それで3年目には中国のあるレストランに売ってしまっています。
この2年間で彼等は何したかって言ったら、ソニアリキエルから学んだ事は広告戦略ビジネスを学んでいます。
それ以降SANDORの大きな広告は色々な海外に出してもそれなりにいっています。
例えば日本で言えば樫山が広告戦略するのと違うっていうレベルで変わってしまっています。
サンディカ、チェアマンが変わった事によって新しさのひとつに、もう一度フランス全体のモード産業を見直した時にはサンディカ、オートクチュールプレタポルテ組合がバックアップをして、サンチェ系の、いわゆる今まではコピーブランドを売ってたところをもう一度それなりの施設に直して、ビジネスを広げようと、そのためにこのサンディカオートクチュール組合が直属の、今まではクチュールの針子さん養成学校であったこの学校をサンチェの隣接移動させて全く内容もミシンを使っていいですよのカリキュラムに変わってしまっている。
これはまぁ、僕流の呼び方でいくと、パリの連中もオートクチュールは、つい肥大化して根幹としての一番マスで売り上げを上げるサンチェ系の既製服の皆さんがもっと力を持てば今後ファッションビジネス産業その物が上に上がって行きますよねっていうところに見つけた最も新しい動きだと思います。
それからもうひとつはやっぱり、これは日本の場合、これはかなり進化しているんですけども、いわゆるITファッションビジネスの進化っていうのはPCの中にどれだけIT、テクノロジーが使い込まれるかっていうところで、これは日本よりもかなり遅れて来たヨーロッパがプレタポルテデザイナーのネット通販ビジネスの参入し、NET-A-POTERやイタリアのヴォーグ社とがやっているthe corner.coっていう、それからヨーロッパで一番早くにデザイナーのネット販売をやったYOOXとのコラボでビジネス規模をどんどん広くするって現実があります。
それからもうひとつは具体的な例でいくと、H&Mが始めたファストファッションのシニアブランド版のCOSです。
これがヨーロッパでも売り上げが上げています。
パリで3〜4店舗、日本で去年の11月かなんかに、それもやっぱりラグジュアリー系の裏っ側に仕事があるか、丁度ヨージの前にコスメティックブティックが出来ましたけども、これはもしかしたら、これからの日本のアパレルのもうひとつの脅威です。
僕はこのCOSっていうのは同じスエーデン発のプレタポルテデザイナーで4年前くらいからパリに上陸して今ぶわぁーっと上手くイメージ戦略を含めて売り上げを伸ばして来たACNEの向こう立ったブランドですよね。
ACNEのあれぐらい高い値段であれぐらい売れるんだったらうちはこれぐらいのプライスダウンでこれぐらいの作ってやるって出したのがCOSです。
COSはこれは確実に売り上げを伸ばしてます。
だからファストファッションのシニア版が当然出て来たと。
どこだったかな、マンゴーかどこかもファストファッションのジュニア版を出したために共倒れしてるはずです。
だからこのCOSがこれからどういう風な動きを取るかによって、サンチェ系の、ある意味では日本の儲けてる風、アパレル既製服メーカーも、どういう風に対処するのかっていうのが新しい動きの取っ掛かりになると思います。
それからこの前、パリのスージューベルトっていうプライベートなファッション学校の先生をやっている方がいらして久しぶりに鎌倉に来ていただいて、話をした中にちょっと面白い事をおっしゃったのは、卒業生が自分でデザイナーをやるにはかなりリスクが多いから、出来るだけ彼等も安心、安全の快適のコードを使って、ひとつはラグジュアリー系に就職っていうのが増えた。
で、その面接が英語が喋れないとダメだっていう事が新しく入って来た。
今までのパリはこれはなかったんです、基本的にはフランス語が喋れないとアンタダメよ、だから日本系のエスモードや、モードが向こうで幾つか参入している学校も日本人は日本人クラスを作ってフランス語喋れなくてもいいですけどっていうリップサービスのシステムでやってるんですけども、そこにフランス語じゃなくて英語が喋れないと先のラグジュアリー系には入れませんよっていう、英語がかなり前に出て来た現実がありますよと。
英語が本格的なビジネス用語になり始めた。
フランスのファッション企業で働くためには英語で面接されるところも出て来て、ここにも、ある意味では共通言語としての、マシンとしてのPCを使うためにはやっぱり英語っていう世界になって来てると思います。
それからシーズンコレクションの作り方の方程式、これは前回も一回言ったんですけど、これはこないだのパリコレを見ても確実に言える事は、コレクションっていうのはフェミニンとマスキュリムっていう大きなふたつのゾーンがあります。
このゾーンの中をどうブリッジラインとしてデザインを出すかっていう、このブランドライン、ストリート、ユニフォーム、それからその時代の中では今シーズンでいくとMA-1というのは日本では去年の最古は秋くらいからMA-1がトレンド性を持ったアイテムになって来ていますけども、当然これはこの間のパリコレでもMA-1っていうコードが入っています。
これは僕流に言ったらフェミニンとマスキュリムのブリッジラインのアイテムとしてこれが出ています。
この方程式、フェミニンを何%、例えばフェミニンを今シーズンで言ったら30%、マスキュリムを25%、後は45%ですか、をじゃあブリッジラインでどう出そうか?
これだけのマトリックスを覚えればこれはコレクションは結構簡単です。
単純な言い方をしてしまったわけです。
この方程式を僕はニコラ氏がディーゼルのデザイナー、ディレクターに成った時に、お客さんどうしようっていう時に、この方程式を使えよって喋った事があるんですけども、今のニコラ氏のディーゼルはこの方程式でほとんどコレクションは構築されています。
例えば皆さんそれぞれのデザイナーがコレクションを気にしてネットでコレクション情報をザーッと見る時にこれはマスキュリム、これはフェミニンって分けていって、その間にどういう風にオリジナルを出すか、アウトプットにどう使って行くかっていうこれだけのバランスですよね。
っていう事はこれだけの、ある種のデザイナーとして経験を積んできた人達のやり方かもわかんないですけども、結果全く新しさっていう物はないっていう風に、アーカイブをチョイスして、アーカイブからコレクションの根幹を作って行くこの方程式はかなり使える物です。
それからそのコレクションのクオリティ、テイストセッティングは女性のリアルライフスタイリングと今の空気感+カッティングですよね。
このカッティングっていうのが一番、ある種の美意識と教養を象徴する中身です。
シルエットはアーカイブから選んでも素材によってはカッティングを変える事によって全く今の新しい、もしくはそのデザイナーの美意識と教養に繋がってくる。
単純にいくと例えば、数シーズン前でいくとコートはラグランの方が良いよねとか、そういうちょっとした時代の空気感からパターンを全く結び付きを変えてしまう、身頃の分量をどうするか、これがある種の分量間に繋がって来るんですけど、その分量間を出すのはカッティング作業です。
それはそれぞれのデザイナーが持ち得た教養と僕は美意識のチェックだと、そういった意味で言ったら+ファッションセンス。
っていうところでそれぞれのコレクションクオリティに対してはセッティングされるんじゃないですか。
それからコレクションの新しさを生み出す物はやはり今の時代、ヒューマンテクノロジー+サイエンステクノロジー+バーチャルテクノロジーの産業化です。
これによってコレクションの新しさ、今シーズンでいくと、インジェクションプリントですか、写真転写が少し落ち着いて3Dプリントに変わって来てると。
これがある種のサイエンステクノロジーとバーチャルテクノロジーが新たに加わった。
で、これがコレクションの見た目の新しさと本質とやっぱりちょっと新しいよねっていうところだと思います。
最後に目立つ問題点としては、このような時代性となるとアーカイブからコレクションを作る場合、今の若いデザイナー達はその持ち得たリアリテがない。
そのため、フラットな平面性、ヴィジュアルからのデザインになる。
当然、まぁファッション雑誌で見ると、基本的には表面しか見えないわけです。
裏、横がどうなっているか見えないから結局フラットな物をどういう風にリクライトするかっていうところになっているために、分量のデザインが出来にくい、あるいは出来ない。
表層のシルエットのコピーは出来るが、今の時代の分量間に置き換えるニュアンスのデザインが出来ない。
そのためにパターン力の低下が目立つ。
学ぶ方法は教養を深め、歴史を学ぶ、古着を触る、もしかしたら古い映画を見る、自分の育ちを省みる。
そして熟練者の仕事を敬い、学び、オープンマインドである事。
ここにも最終的には自分自身が劣等感に置いていかれないで、出来るだけ自分はその場とか学びなさいよというところになるから、これが一部で皆さんにお話したかった事をダラダラと喋らせていただいたんですけども。
というところで一部終了。
二部はフルボッコという名の公開処刑だったので、それは来ていた人達だけにという事で。
ファッションアーカイブとラグジュアリーの方向転換
構造が変化した時に、チーム、個人デザイナーからアトリエ主体型になった時に一番良い例は、年末にラフ氏のディオールが来て、銀座で展覧会が2〜3週間あって、ショーも一回やったと。
で、ショーを見ても、別に凄いコレクションでもなんでもない、そこそこ良くまとめたなっていう、完全に僕流に言ったらある種のプレタポルテのショーであって、かつてのクリスチャン・ディオールっていう伝統な発信する内容では到底ない。
展覧会に行って、これはこのブランド凄いなっていうのは、展覧会に行ってわかったんですけども、展覧会は無料、それでクリスチャン・ディオールのクリスチャンをなくしたディオール展。
それでオリジナルのクリスチャン・ディオール氏の作品とラフ氏の作った物に関してはデザイナー名が入って、その間の、サンローラン氏、マーク・ボアン氏、ジャン・フランコ・フェレ氏、ジョン・ガリアーノ氏、この作品に関しては使っている物は全部年代で省略してあるだけで、個々のデザイナー名は省く。
それから一番気が付いたのは、アトリエの人達、白衣を着た人達がインスタレーション的に、それぞれのアトリエの作業をそこで展示に来た人達に提供している。
それから大きなアトリエの人達が白衣を着た人達が写真がアップで。
という事は、ある種、ディオールの中のある種の単純性っていうか、無名性的なデザイナーなくても僕達がこれだけのアトリエが、スタッフがいるために、これだけの良い物が作れたんですよというのを見せつけてくれた展覧会であった。
実際、この1年間、結果的には売り上げが下がってないです。
これを調べてこれに気が付いて今のディオール社の経営クラスのトップの連中は、僕達にはこんなに良いアトリエがあるんだよね、っていう前提で、このアトリエをディレクションしてくれるディレクターさえいればこれからはビジネスとしてはやっていける。
っていうところでラフ氏がひとりディレクターの中から選ばれた。
これが現実です。
だからそれを全てに渡って、ディオールの展覧会は僕的な読み方をいくと、全くデザイナー、クリスチャン・ディオール氏=サンローラン氏、最終的にはジョン・ガリアーノ氏っていう個人のデザイナーを持って来るんではなくて、我々にはアトリエが支配してますよねっていう事を裏付けするための展覧会である。
これがファッション産業構造の中では一番大きな、最近の中では変化だと思っています。
だからデザイナーよりはディレクターに、ディレクターが持っているいくつかみっつぐらいの特技と+それを持ってそれぞれのヴィジョンに入れるアトリエシーンをどうディレクションするか。
これがラグジュアリーブランドビジネスの基本的な構造の新しさになってます。
ただこのアトリエチームを持っているっていうのはインディペンデントな若いデザイナーはほとんどこれはないです。
自分がアトリエの人員であり、自分も色々やるっていうところで、この構造はラグジュアリーブランドビジネスと少し大きなプレタポルテデザイナーのブランドが用いる構造で若いインディペンデントな、ボリュームの足りないプレタポルテデザイナーは当然これは用い獲られない。
だから、パリのファッション構造がこういう風に変化してきた代わりに今、パリもそうですし、いわゆるリアル界のファッション校と言われる学校を卒業した卒業生達が就職的に左右されるのは、それなりの自分達が勝手に任されてみたいと思われるラグジュアリー系のブランドのその中に、チームになりたい人達が増えています。
もしくら完全にお金を取ってファストファッションクラスの大手の企業にいくかと。
インディペンデントなデザイナーはかなりリスクとコストがいるために今、若いファッション学校卒業生の、今かなり、後ろに引き始めてます。
ファッションアーカイブ、アーカイブって僕がいうファッション世界における基本コードの集積化であって、イメージングされたそれぞれの時代における女性の生き方のコードの堆積化である。
ファッションアーカイブには、スタイルがあります、パターンもあります、素材もあります、色もあります、ディテールとバランス、そしてイメージと基本的なそれぞれの時代、それぞれのシーズンのある種のコンセプト、なりの自分がコードが堆積されている巨大な世界になっている。
このファッションアーカイブを上手く今のITと結び付けて、これからファッションアーカイブをビックデータ化して、それなりの使いやすいアーカイブマニュアルを作っていく事がもうひとつのデザイナーの新しいファッションビジネスの手法になると思う。
アーカイブをどうするか、これからの、巨大なデータですから、データ化する事でファッションもビジネスもどんどんいわゆる新しさが生まれるだろうと。
ラグジュアリーが方向転換したっていうのはこれは、基本的には1990年代の湾岸戦争以後、丁度1991〜92年の湾岸戦争だと思うんですけど、それに煽りを受けたようにクチュールの客が減って、そこへ登場したのが1992年のグッチのトム・フォード氏がラグジュアリーファッションディレクターとして登場して、ラグジュアリーマークビジネスという新たな括りでモードビジネスの新しさをミラノの老舗が見つけた。
それでこうやってきて、実際のファッションビジネスっていうのはラグジュアリーの思惑をどうラッピングするかの包装紙になってしまった。
それからもうひとつ新しい、ここで僕が一番新しいのは2000年来、それぞれのビックメゾン、ビックラグジュアリーブランドのプレタポルテデザイナーはみんな中国を新しい世界、マーケットとして、もうひとつは生産地としてのふたつを含めて中国に色目を使ってどんどんそれぞれのブランド、それぞれのマークビジネスが中国に侵入していきます。
だからこの約10年くらいで彼等が認識したのは、やはり同じアジア人でも日本と中国人は違うっていう事。
その違い方は基本的には中国人の方がよりビジネスに対してはしっかりしてて、ある種ラグジュアリービジネスも、もうこれ以上奥には中々入れないよねっていうところに辿り着いたのは去年以来です。
それによってそれぞれのラグジュアリーブランドビジネスはもう一回Uターンして新たに日本のマーケットっていうのを攻め始めました。
その証拠が多分僕が帰って来て目にしたんですけど、表参道のギャルソンが入ったところにバレンシアガが出来、マックイーンが出来、ミュウミュウが出来っていう、当然のようにラグジュアリーブランドビジネスがまた東京の街に出店をし始めている。
で、この間のさっき言ったディテールのショーの時も、ずーっと来ている人を見ると、日本のそれなりに選ばれた赤文字系も含めたファッション関係の人達、当然のように座っているんですけども、それに混じってやはりそこそこ良い席に座っているのは中国からのジャーナリスト、それから顧客の方で言ったら中国での顧客の人達が手招きされて招待されて、もしくは旅費まで払って貰ってちゃんと見に来てると。
という事は中国で、今までは中国をビジネス戦略として新たな目線を持った時は、日本でもラグジュアリー系ブランドの広告宣伝費はほとんど使われなくなって、日本で使うのは販促経費だけで、今まで日本で使ってた広告宣伝費を同じクレジットで中国で使ったら、何倍も効果があるっていうところで、ほとんど中国で広告宣伝費を使った。
だだそれもここ10年間でこれ以上奥に入れないっていうところをそれぞれが体感してもう一度やっぱり上手く騙すなら日本人だよねっていうところに来たのがもう一度、この春からです。
これは僕が深入りするひとつはすぐ後ろには、この前もお話したように、昨年来、安倍政権が色々な法律や条約を変えようとしてる中の新たなひとつにカジノ法案があります。
数日前にもほぼ決まりそうだなってところまで来ています。
これ庁党派で出来たカジノ推進派委員会みたいな物があって、まぁほぼ15年近くジワジワやっと東京オリンピックをターゲットにして、基本的には東京オリンピックの時には東京にカジノ、大阪にカジノ、沖縄にカジノっていう戦略です。
そうするとこの新しい去年のニュースの中からも僕なりの読み方でいくとカジノっていうのはファッション産業に大きなひとつのモチベーションを与えます。
カジノに出入りする男性、女性はどういう格好でどういう雰囲気で行くのか?
想像した時には、それなりの成金の男とそれなりの女と。
その時にそれなりの女の人達が何着てるかって言ったら、やはりトップクラスは世界の名だたるラグジュアリーブランドビジネスを着てるだろうと。
っていう事はもしかしたら置かれるかもわからない中国を構想にして日本にもう一回帰って、日本に数年後にカジノが出来るよね、これは新しい我々のファッションビジネスのモチベーションになりますよね。
だから海外のラグジュアリーブランドを着る人達、それから日本のそれなりの好きなブランドを着る人達、それからマルキュウ系を着る人達、この層が確実に具現化するはずです。
それによってファッションビジネスの横分けされ方、そういう意味で言ったらラグジュアリーマークビジネスはもう一度日本に方向を転換し始めている。
これはこれからのカジノ法案が決まってから僕達の関係あるファッション産業がどういう風に新しい決められた法律で生まれてくる産業とどう結びつくか。
そこに自分達がどれだけ手が出せるのかどうか、現実感として自分達が上手く関われるのか、関われないのか。
ひとつの将来、近い将来的な時代のやり方に、そういった意味ではニュースを読むっていうのは結構大事です。
ユニフォームビジネスっていうのもまた新しく生まれて来ます。
ではその新しい軍隊のユニフォームを誰がデザインするのか、どこが請け負うのか、これもこれからのファッション、我々世界のひとつの流れの中、将来性に繋がっています。
長くなったので、区切り、続きます。
ラッピングペーパー
今の時代におけるデザインすることとは。
基本的には僕はファッションの世界は普遍的な色んなコードをレイアウトする事がファッションデザインする事であると。
色んなコードがあります、そのコードの中のひとつに機能性があったり、生地があったり、モデルをどうするかっていったり色んな決まりを含めたコードがあります。
そのコードをそれぞれがどういうコードを使ってどういうコードを省略して、コードをどういう風に今の時代感、空気感にいわゆる落とし込むか。
これ=僕流に言ったら、ファッションデザインするっていう作業になると思います。
そのコードをどれだけ仕入れるか、それを頭の中で仕入れるか、自分が持ち得ているリアリティから仕入れるかの違いで、かなりその深みが当然変わって来ます。
時代の空気感をデザインし、ライフスタイリングのニュアンスをデザインする。
これが多分デザイナーとディレクターの大いに異なる部分だと思います。
それらをデザインするための時代の感覚的新しさとは、リアリティをイメージングする事で、結局絵に描いた餅をデザインしても、もうそれはみんなが絵が描けますよね。
もしかしたらそれなりの中で自分達の生活、ライフスタイルがあるから、ライフスタイリング、自分達が持ってリアリティとしてのライフスタイリングから何をイメージングしたら新しさに繋がるんですかっていうところです。
かつてはイメージが優先してイメージをどうリアリティ化するか、それが自分達の持ち得るあり得るべきライフスタイリングだったんですけども、これがイメージとリアリティが逆転、従って時代の感覚的新しさとしては素材+色+プリント=質感=3D感が形骸的なデザイン性よりも、プライオリティを持つ。
だから色んなコードの中で何を自分なりにプライオリティとして重要だとして、そこをどうリライトするかというところに長けている人が多分ディレクターだろうと思います。
ビジネスを考える場合はトレンドを自分達のマーク&ブランドの世界観とイメージでデザイン。
結局もうひとつはリアルな事でいくと、ファッションディレクターがするべき事は、トム・フォード氏がやったように、自分達のマーク&ブランドの世界観をどれだけイメージング化するか=アーティスティックディレクターをするか。
今、例えばラグジュアリーブランド=パリの老舗ブランドが出しているラグジュアリー、ディオールのプレタもそんな感じですよね。
この辺はみんな、ある種の僕流に言ったらそれぞれのブランド、ラグジュアリーブランドのラッピングペーパーです、包装紙です。
というのはちょっと古い話を、パリのジャーナリストも日本のジャーナリストもじゃぁ今、ラグジュアリーブランドで世界で一番売上を上げているのはどこある、どういうランキングになっているのかってほとんど知らない。
僕はこれEFMの図書館に行って2年前かなんかに調べた時に出て来た資料が2010年ぐらいだったんですけど、2010年で一番はシャネル、二番がディオール、三番がヒューゴ・ボス、これはヒューゴ・ボスというのはドイツの巨大なアパレル企業です。
その中で面白かったのが13番目に僕達が自慢出来るコム・デ・ギャルソンが世界トータルの番付として入っていると。
シャネルやディオールやそれぞれのブランド、ほとんど皆さんが知ってるラグジュアリー系のブランド、その中の売上の、実際衣料品で売っているのは3分の1足らずです。
あとの3分の2はファッション以外で儲けてる。
彼等はファッションで、クリエイティングをして、パリコレを見せて、そのイメージの下で自分達が作る、コスメ、靴、バッグ、これがラグジュアリーブランドビジネスが大きくなった2000年に入ってからの彼等のビジネスである。
これは今も変わってなくて、ますますファッションはそれぞれのラグジュアリーブランドマークのラッピングペーパーでしかないですよ。
ファッションブランド、それぞれのラグジュアリーブランドはファッションを発信していますけども、結局それは売上の3分の1足らずですよと。
あとの3分の2はファッションでイメージングしたラッピングペーパーでラッピングされた包装紙で包装された物を売れば売れるんだよねってこのビジネスの略に変わって来てます。
より大きな、だから僕は冒頭にファッション産業っていうのは広告産業ですよって言い切ったのはその通りです。
そういう意味でいくと、自分達のマーク&ブランドの世界観をどうイメージングでアースディレクションするかもこれからのファッションディレクターのみっつ目の大きな役割となる。
このアーカイブを時代の空気感なり、ニュアンスでチョイスする、今、何を、古い物を選んできて、それを今なりの素材感に置き換えて、今なりの洋服で今なりのプリントを持って来て出せば新しさになるか。
これが例えばラフ氏の一番大きな仕事になります。
彼がやっている事は全てその範囲でしかやっていない。
続きます。
WITHOUT SEWING
ルプリ続き。
モードクリエイティビティが変わる。
新しさの規範が変化した。
新しさについてのある種のスタンダードが変わりましたよと。
いわゆるJUST NEWからSOMETHING NEW+OLD NEWへ、そしてFRESH NEWという言葉を入れています。
この根幹は、ファッションクリエイティビティっていうのは単純にイマジネーションのアーカイブで何回のバリエーションを絞り込む、時代の空気感で構築する形、その時にある種のFRESH NEWっていうのを、新鮮さっていうのはそれなりの新しさに繋がりますよね。
今のデザイナーはSOMETHING NEW or OLD NEWもしくはFRESH NEWでしょうねというところです。
あるいは今シーズンのコレクションに多く現れたEPISODO NEWっていう、それぞれが持ち得たエピソードを今の時代感に置き換えてどう解釈するか、単純に言ったら映画のリバイバルだとかリメイク版が販売されるのと同じ発想でモードのリメイク化っていう事になります。
これのネタは全て、それぞれのアーカイブからのバリエーションの選び方のひとつだと思います。
従って基本的なモードクリエイティビティの根幹は、VARIATION OF THE ARCHIVESでしかないですよと。
過去の集積から今の時代の空気感を感覚でセレクトして、そこへ新しさとして、これは大事ですよね。
新しさとして何を加えるか、素材の新しさ、ある色の新鮮さ、プリントの新鮮さみたいな物を一味として加える。
っていう事はニュアンスのデザインが出来れば、洋服って形のデザインよりは物の感覚的な時代の空気感がニュアンスとしてデザインされるのは、これはディレクターの役割ですよ。
大事な作業としては、素材が新しさを象徴するっていうところではプルミエールヴィジョン、1年先の素材を売り込むための年2回ある素材見本市ですけども、ここが発信するトレンドのフレームっていうのがあります。
というのは素材屋さんは1年先の売れるかどうかわかんない素材を作らないとダメなわけ。
そのためには安全パイとして、1年先にはこういう時代感、空気感でこういうトレンドが可能になりますよねっていうのを発信するにはプルミエールヴィジョン、素材屋さんがある。
それを受けて、デザイナーは生地を探しに行くと同じように、プルミエールヴィジョンが発信する1年先のフレームっていう安全パイのフレームを持って帰って来て、それを自分のブランドもしくはアトリエの中で自分なりの世界観にどうまとめあげるか。
これが基本的なプレタポルテデザイナー+ラグジュアリーブランドのデザイナーという人達の仕事。
それをある種のアーティスティックな感覚、時代の空気感がいち早く感じられて、デザイナーよりもディレクターがそういう役割を果たす状況が前に出て来てる。
デザイナーはトレンドを作らないで、単純にトレンドをデザインする役割の方ですよという言い方をしています。
従って、デザイナーよりもアースティックディレクターの方にファッションクリエイティビティっていうのは時代はそちらの方に来ます。
じゃあファッションディレクターになりたいんだって何を勉強したら良いんだっていうところのエデュケーションがほとんどパリでもヨーロッパのどの学校も含めて、ファッションディレクターになるためのエデュケーションシステムが構築されてない。
もしかしたら、これはエデュケーションがカリキュラム化した物が必要なのかどうなのかっていうのがクエッションマークなんですけども。
そこが今、僕流に言ったらひとつの時代のファッションシステムの綻びだろうと思います。
そういうところを飛び越えて、ある種の消費社会とバーチャルなPCの情報量で、Instagramからパクっているブランドっていうのは結構あります。
Pameo Poseっていう、僕知らなかったんですけど、何故知ったかって言ったら、僕が数年前まで1997年のジャンポール氏、僕の親友のパリのこれはファッション出銭されたデザイナーですけども、彼がデザインした一枚仕立てのチェックのアウトソーイングのコートをここ2年くらいこれ見よがしに着てたんですけども、これは全部、着てる時には、パリで本当に色んな人が、エデュケーション、彼を借りてきましたし、写真を撮られた人。
そういう風に全く同じ素材感で今シーズンのアイテムを作っています。
見事です、だからこのブランドを知ったんですけども。
知れば知るほど、このブランドのデザイナーも、ある種のファッションディレクターで、本人はディーゼルをやって、文化出の人みたいなんですけども。
これがこれからは、ひとつの当たり前のファッション産業の新たなポジションになると思っています。
それから基本的な技術開発がなければ、このファッションの世界のクリエイティビティは物のバリエーションの時代が蔓延るだけである。
この基本的な技術開発っていうのは、ひとつは素材における技術開発。
新しい素材をどう使うかっていうただ単純にミシンと針の世界じゃない技術開発っていうのがひとつ大事じゃないですかというところで、たまたま今日着てきたのが、僕が好きなヤン・リー氏ってデザイナーの、ほとんどゴムです、これは。
何故着て来たかっていうとほとんどウィズアウトソーイングなんです。
熱、熱を当ててですね、これを出来るメーカーはドイツにひとついいのがあって。
今まではある種、ゴアテックスなんかの素材をスポーツウェアの中でこういう作り方にこなしていたんですけど、ヤン・リー氏はそれをモードの世界にまで持って来てるって意味で僕は面白い、僕が死ぬまでに1回やりたいコレクションはずーっと前から思ってるんですけど、それはラバーコレクションで、パリのアムステルダムに行ったのもラバーコレクションを作るための技術としてボンテージのラバー物の縫製工場っていうのをどっか調べようと思って行ったんですけども。
それがある意味ではヤン・リーのコレクションの中にも既に落とされていた。
これを彼に話して譲って貰ってきたんですけども。
ここぐらいまでは僕流に言う技術開発。
これをもっと応用化すればウィズアウトソーイングの世界は出来るぐらい、ウィズアウトソーイングっていうのは可能になる。
ウィズアウトソーイングに一番近いブランドが実はコム・デ・ギャルソンが立ち上げている新しいノワールってブランド。
本当に、ある種のウィズアウトソーイングを自分のコレクションの中に落とし込んでいます。
それなりのコレクションピースを二宮氏っていうんですけど、アントワープ2年中退で最終的にコム・デ・ギャルソンに入って2年前ぐらいからかな、ノワールっていうギャルソンのお荷物ブランドがひとつあるんですけども、ほとんど使われてない、埃まみれのブランドをあてがれて、彼なりに出発、その方向性がひとつのウィズアウトソーイング。
だから、僕が何故ウィズアウトソーイングプロジェクトをやったのかっていうと、根幹の技術、ベースって言うんですか、服を作る=ミシンと針と糸じゃないと縫えない、ここから外れたところで身体に装着する物を作る事のこれからのファッションの出来る可能性として、新たなカテゴリーになるだろうと。
もうひとつは、着る側の女性達、男性も含めて、ボディシルエットが続々と綺麗になり始めた。
ボディタイツを着る事によって後は自分が外す事、もしくは見せるところ、パーツオブボディをデザイン化する。
それがひとつのファッションの新しさになるんじゃないかと。
若い人に向けての提案があります。
これを日本でやっているのはノワールっていう、この僕の考えの発端っていうのは我々イエローの歴史を見たら、戦国時代の甲冑の世界があります。
戦国時代の武将が身に付ける世界、あれはウィズアウトソーイングです。
当然ミシンがないですから、ほとんど素材が竹、革、メタル、布、当時の日本の工芸的な要素が全部あるわけです、漆、鞣し。
それぞれの素材をそれぞれの工芸的なこなしでひとつの世界を構築するのが甲冑です。
出来れば先端のファッションを自負する人達も一度、甲冑の世界をひとつ目にするのもこれからの皆さんの世代の新しさになります。
そういう事を二宮氏に話をしたんですけど、全く彼もある意味では、僕のように意識を持っているわけではないんですけど、彼が目指すところはある種のウィズアウトソーイングです。
っていうところでは、単純に物のバリエーションの世界からどんどんどんどん広がれば広がる程、ある種の閉塞感、実質的な閉塞感を感じる世界になる。
それを脱却するためには自分なりの新しさとしての何か、全く考え方から新しさをやっぱり変えていかないと、全てバリエーションの世界になりますよね。
っていうのが僕の現代の視点です。
出来るだけ、ウィズアウトカテゴリー的な、くっ付けてもくっ付かないような二者をどうくっ付けるかかの方が新しさを生む可能性がありますよね。
技術開発ていうのはいつの時代でも新しさを作る根幹的な大事な要素である。
それが今は単純に素材に売れどころっていうだけじゃないですかっていうのが僕の今の最もファッションクリエイティビティの目線です。
物のバリエーションの世界に意味性と嗜好性と時代性を味付けするにはエモーションやノスタルジィと、ある種の日本人が得意な妄想力がキーワードとなるでしょう。
妄想力っていうのは今大事な事。
あらゆる事が消費社会の中でバリエーション化されていく中で、どう妄想を広げる事によって自分のひとつのファッションのバイタルを、それが漫画の世界であったりっていう唯一日本だと思うんで、漫画の世界、妄想力っていうのは日本人が特化した結構これからのクリエイティビティの大事な。
もうひとつの確実な新しいってなったスローファッションの進展であろう。
使える物は使うをコンテンツにした感覚と技によって、これ、ここにも感覚と技っていうのが大事です。
これは古い物のリメイクをしても感覚と技がなければ、着れるリメイク物にはならないですよね。
リメイク物もある意味では自己満足の世界のリメイク物が多い。
このリメイクに関してある種、スローファッションっていうカテゴリーを新しく持てば、ここも日本オリジナルの、世界のファッション経験の中では新しく戦える可能性がある。
例えばファッション学校に入学して専科っていうのがあるかないかっていうと事になりますよね、ないです。
リメイクする世界と新しい物のタイアップ、聞いた事はないですし。
アートディレクター=ファッションディレクターの世界、ファッションディレクターを養成するそれなりのエデュケーションシステムがないっていう事と、これからスローファッションが新しいひとつのファッション産業のカテゴリーになるんじゃないか。
スローファッションをビジネスにするためのエデュケーションシステムも今はない。
時代がどんどん先に新しく過ぎて行くのに、教育の場が追い付いていない。
その分だけその世界は可能性のある。
区切ります。
文章に起こす時に滑舌の問題で多々異なるところ、省いたところがあります。
平川氏が着ていたゴムのジャケット。
仕立ては本当にスポーツウェアみたいな感じでした。
個人的に驚いたのは軽さと柔らかさ。
軽さって言っても普通のジャケットよりも軽い程度ですが。
柔らかさは、パリッとしてるけど、マッキントッシュとかに比べて遥かに柔らかい。
って感じで続きます。
モード産業=広告産業
ルプリ続きです。
モード産業っていうのは広告産業になってしまいましたね。
広告を産業化する事、今の時代の僕がある種のバリエーションだと、産業のバリエーションになってしまっている。
単純に言ったらサッカーも僕は広告産業だと言い切っています。
全てある種の実態を広告化する事、実態をイメージ化する事になりますけど、それが最終的には消費に繋がるというところで、モード産業は広告産業であると。
それから、クチュールは夢を見せる事であって、プレタは現実とリアリテを売る事である。
この弁えもちょこっとはっきりしだしています。
俗に言われるラグジュアリーブランドビジネスの根幹は、それぞれのブランドが持っていけるオートクチュールっていう主体骨があって、それがあるがために、ラグジュアリーブランドがビジネス化出来るっていう構造になっている。
このラグジュアリーブランドビジネスがどんどん進化して、進化するためには、その後ろにあるクチュールっていうのは維持するのは大変だけども、これを解してはダメだっていうのが今のパリの現実です。
時代性っていうのは、家で、みんなで安心、安全そして、快適に!っていうこれが開けたら20年位前に一回このコンセプトである企業にプレゼンをした事があるんですけども、まぁ、家でっていうのは家族、友達、インテリアっていうインサイドっていうところに家族だとか友達だとか自分の関係性の中で、安心、安全、そして快適な。
安心、安全でいくと僕は鎌倉に住んでいて、たまに東京に出てくる時に電車に乗る。
帰って来てから感じた事は案外若い人達が電車に乗る時にドアが開いたらすぐに席を求めてかけ走るのは若い人が多いなっていうのがやけに感じるんです。
多分、空いてる席を求めて座って、座ったら彼等は何をするかいうたら大体携帯を出して。
これも僕流に言ったら特有の若い世代の自分達に潜在的に安心、安全を求める行為が電車の中で席を求めるっていう僕はそういう読み方をしているんですけども、それぐらい、多分、今の時代は、特に日本の場合は本質的には色々な問題は沢山あるんですけど、それをひとつ横に置いておけば、案外簡単に安心が手に入るような社会構造になってしまっている。
このような時代性では、形骸的なデザイン、いわゆるアート志向的、エゴな物を作っても、それがデザインっていうカテゴリーではなく、またマスとしては売れない時代ですよねと。
当然アート志向はアート志向で大事ですけども、ファッションデザインというカテゴリーの中では、やっぱりファッションはアートではないです。
デザインのカテゴリーです。
だからそういう意味では僕は自分達のデザインスキル、技術とデザイン美意識によってどれだけ社会にコミットして下さいよねと。
という事は自分の作るべき世界、作りたい世界でどれだけある種の売り上げを取ってくれる、取らなければならないのがデザインビジネスですよと。
変わりなく僕のファッションにおけるある種のベースにあります。
こういうエゴで物を作って、最終的にそのエゴを誰がリスクとコストを背負いこむのかっていうところが、僕に言ったら、その個人の倫理観になるでしょっていうところなんですけど。
この倫理観が、これからもっとクリアにしていけば、ある意味で倫理観が洗練さを持っているところに行き着くだろうと思うんです。
従ってモードの世界も現代という時代性の王道を行く、工業製品のプライドの復権の時代っていう時代に入り始めているんじゃないですかと。
クチュール=手工芸の世界とラグジュアリーをトップとした既製服の世界、そしてファストファッションとの棲み分けがこの21世紀型の新たなスタンダード化され始めてきた。
モードファッションっていうのは僕流に言ったら、これもひとつの一種のあり得るべきスタンダードとしての新しいファッション思考の物であって、決してこれがファッションじゃないというところです。
モードファッションで売れてるブランドって結構あるわけです。
デザイナーの中でも。
例えば、アーペーセー、ギャルソンのプレイですね、あのレベル。
ファッションではなく、足元を見ると、去年でいくとニューバランス、今年は少しミヤケが入って、必ず足元が今みんなトレンドになってますね。
それで言ったらファッションっていうのは、このアンテナ、今の時代のリアリティがイメージよりも先行したところで生まれて来た、ひとつのファッションの流れという事です。
それは、ひとつ目のモード産業がどういう風に構造が変わったかっていう事を次にお話しします。
モード産業っていうのは僕流に言ったらクチュールビジネス、ラグジュアリー、プレタポルテ、アパレル、ファストファッション。
これが多分モードファッションのカテゴリーだと思います。
それからそういう動き、そういう感性、そういう美意識、そういう時代性をよりマスの中で落とし込んで、それなりのディストリビューションで成り立っているのがアパレル。
それから21世紀になって出て来たファストファッション。
多分このモード産業のカテゴリーはそれぞれディストリビューション、ビジネスの手法が違う事によってカテゴリーライズされている。
それから一番新しい動きは僕は+ヴィンテージっていう事だと思います。
その中で新たな産業化されてこれから、スローファッションっていうカテゴリーがモード産業の中の新しさの中、21世紀のスタンダードの中に加わってくるだろう。
これは日本でもこれだけの消費社会ですから、どんどん捨てるだけの洋服がいっぱい、古着の山がいっぱいあってそれぞれそれなりの中間、アンダーグラウンドな世界で中間業者があって、それが最終的にはウエスという機械を掃除するための雑巾になってしまうと。
そういう世界に若い人達をそこに呼び込んで彼等がチョイスするヴィンテージを選んで、それをある種リメイク、リプロする。
このスローファッションは、これからのもしかしたら、上にあるカテゴリーとは違うところで若い人達が案外鮮度を保って参入出来る可能性があるファッション産業になると。
それからラグジュアリーレベルでは、個人デザイナーからアトリエ主体型へ。
この発端は、結局はファッションデザイナーよりも、これからの時代はファッションディレクターっていう立ち居場所が、オーケストラで言えばコンダクターがファッション産業の主役になって来るんじゃないですかというところに行き着くんですけども。
アトリエ主体型になって、アトリエのチームを誰がディレクション出来るかっていうアースティックディレクターの方がデザイナーよりも前に出て来るだろうと。
実際これはラグジュアリー系では出て来てます。
もう少し前でいくと、バレンシアガのニコラ氏からアレキサンダー・ワン氏。
アレキサンダー・ワン氏っていうのはニューヨークのデザイナーです。
パリに来るのはコレクションを構築するため、それからコレクションで自分が出るため、後は、そのコレクションを広告、ミーティングの時にアースティックディレクションをやるっていうだけでパリに来てて、基本的に自分のコレクションを構築するために、わざわざパリに来て、パリのアトリエ、バレンシアガのアトリエの中でって事は一切やっていない。
って事はほとんどディレクション作業でしかない。
ということで、現代のある種のラグジュアリービジネスにおける構造はディレクター志向に、それもアースティックディレクター志向になってきてる。
じゃあファッションデザイナーとファッションディレクターの違いがどこなのか。
これが問題であるっていう事と、違いを熟知した上で、それをシステムに今現在どこの国もどこの学校も落とし込んでいない。
というところが今の時代のファッションにおける社会システムのある種の綻びのひとつだと。
それからリアリティに対してヴァーチャルリアリティ+イメージングの三位一体化構造。
これもファッション構造の中では現実になっています。
これをどうイメージングディレクション出来るかがある種のファッションデザイナーとディレクターの差だと思います。
例えばアースティックディレクターっていうのは、僕流に言ったらいつから始まったかっていったら、我々が知っている範囲で言ったら1992年のトム・フォード氏です。
それまでグッチっていうイタリアの老舗鞄屋さん、靴屋さん、いわゆるファッション用品老舗店にトム氏っていうディレクターが起用されて全く新しいグッチワールドがディレクションされた。
それ以降、ファッションディレクターっていうのがクローズアップし、前に出て来て、これが今、去年ぐらいから、ほとんどのラグジュアリーブランドはファッションディレクター的な構造と立ち居場所を与えて、彼等も感覚で、物作りを行って、いわゆるブランド作りを行って、物作りはそのチームがやると。
はい、この辺で一旦区切り。
続きます。