アヴァンギャルド
ちょっと遡るけど、ルプリに凸してきたよ。
ファッションジャーナリストの平川武治氏主催の勉強会とでも言えばいいかな。
ファッションジャーナリストとして日本人で世界的に有名なのは、平川武治氏と栗野宏文氏の2名。
詳しく知りたかったらググってみよう!
今回はルプリのトークショーを数回に分け、まとめます。
『閉塞感』
僕の結論は最終的には、皆さんの個人の生き方がそのままの物が今の時代のひとつの煽りで快適を望むがために自らが閉塞感を持ち得てしまっている。
個々の閉塞感が集団になれば当然、社会の閉塞感に繋がる。
個人の閉塞感を上手く解き放して下さい。
今年からの僕の個人的なプライベートなプロジェクトとしては人生90年プロジェクト。
これの根幹はお分かりのように人生60年から90年、この30年の時間の概念でしかないんです。
出来れば今の時代の閉塞感、もしかしたら人生60年っていう戦後70年間の間に築かれてきた社会システムその物がもしかしたら綻び始めているんではないだろうか?
そういう意味でいくと人生60年から90年っていうスパンに広めた時に当然社会システムその物を新たに考え直さないとダメだと。
その社会システムを新たに考えるためにも、時間の概念っていうのを少し広く考えたらどうですか?
時間は早く早く行くだけではなくて、ゆっくり穏やかにフレッシュするような使い方も出来るんじゃないですか。
そういうところで戦後の社会システムその物が綻び始めて来てるから、余計に社会システム=世間が作ったマニュアルだと思っています。
そのマニュアルの中に皆さんが入り込んでしまって、マニュアル通りに使えば安心、安全、快適なそれなりの消費大国日本の現実で楽に生きれるだろうと、そこにも何か、皆さん個人がそれぞれ考え始めて、それによって個人が閉塞感を持ち得てしまっているんではないか?
最終的には皆さん個人の心の有様をどれだけ常にオープンにするか、何が問題で何が自分なりに壊していかないとダメなのか、あるいは何に自分がリスクとコストをかけないとダメなのか、というところは案外何時の時代も変わらないで必要な事ではないかと思うんです。
僕が今日皆さんにお話するのは、ひとつはパリのモードの新しい風とは?というところで、実際にモード産業の構造が変わり、クリエイティビティが変わり、ラグジュアリーが方向転換し、モードビジネスがそれによって変わりましたよ。
当然、新しいディレクターが入り、新しい年間のすべき事を出すという、まずひとつはパリのモードは全体構造に対してディレクションを行っているサンディカのトップがリタイアした事によって、現実に色々今までちまちましていた物が大きな塊になって前に出始めたという事を僕も、そろそろやっぱこういう現実になって来たかなというところでこのテーマを出しています。
ひとつおさらいとして、ファッションにおける創造っていうのは、どういうバックボーンを、もしくはどういう社会とのリレーションでファッションにおける創造っていうのは生まれて来たのか?
産業革命以降の機会工業化社会=量産化と新たな女性達の自由な愛の生き方に始まり、愛の生き方に始まりという象徴的なのは、単純に言ったらミュシャであったり、ココシャネルであったりという事になるんですけども、1920〜30年代、ヨーロッパの文化の中心の主流化とアメリカに新しい文化が移った、その時代の自由な生き方というところで、それなりのパリのモード、それなりのデザイナー、新たな女性達の生き方に統括を与えた。
戦後1960年後半からは、戦後の新しさとして、教養ある女性達の生き方と社会化=知性とともに強さと自由さを象徴化するためのイメージング作業、これは1968年の5月革命以降、パリのフランスの女性が高学歴化し、社会化し、ある面、男性と社会でもそれなりの立ち居場所を見極めた女性達をやはり時代のある種のアイコンとしてそれぞれのデザイナーが彼女達に対しての世界を構築してそれぞれのクリエイティビティとしてきた。
何時の時代も時代の先端を生きる女性達へミューズ性を与え、讃えることがそれぞれの時代における新しさ=アヴァンギャルドを生み出す。
そして、時代の進化という、20世紀の豊かさ=消費社会化=物質的なるの急激な進展と、メディアの社会化により、あり得るべきイメージからあり得るべきリアリテのための消費社会構造が現実化。
これはイメージがリアリティを生まないで、リアリティがイメージを生むまでのリアリティの豊かさというところで全く価値観が変わりましたよね。
それを受け継いで21世紀というのは、情報化社会というバーチャルリアリテによるライフスタイリングのサンプリング化=リアリテのバリエーション化=ITモバイル社会による情報量の普遍化。
これが今の時代性、社会性だと思います。
これらによって、イメージとリアリテが逆転し、新たなバーチャルリアリテが加わった。
ここで僕は最近ディズニー映画の世界っていうのは、よく考えると映画の世界はある種のリアリティを映像化した物、それをバーチャルイメージ+3Dシステム+アニメーションっていうこれだけの4つをひとつの映画の中に構築した今のディズニー映画の世界っていうのはトピカルな現代社会のひとつのリアリティになっているだろうと。
当然、ファッションも前シーズンでいくと、最近のディズニー映画の世界っていうのはある種のブランドコンテンツのひとつとして出て来ています。
そして、あり得るべきリアリテとしてのイメージング即ち、望むべき手本であるQOLのライフスタイリングの現実化を目標にファッションは物量と情報量によって、速度を減速し、イメージング作業としてユニフォームのアヴァンギャルド化が始まった。
この手法はファッションサイクルの中で、模倣=バーチャルという手法を使って時代の習慣=リアリテを生み出す事であり、これが僕がさっき言ったある種のアヴァンギャルドをコード化し始めた。
ファッションデザインっていうのは、それぞれの時代で落ち葉拾いのようにして、リアリティから広い集めて集積してそれをファッションデザインっていう中のコードに落とし込む事。
そのコードをデザイナーと称する人達がどれだけ自分なりに広い集めるコードを使って、自分の世界観、もしくはブランド観を出すか、これだけだと思います。
そういう意味で言ったらなるべく粒の今まで100、200年積み上げてきてるファッションの産業構造の中でのいくつものコード=ファッションにおけるアーカイブだと言っているんですけども、そのアーカイブをどういう風に自分で集め、どういうアーカイブを広い集めてきて、今の時代に近付くかという風なこれからモードのクリエイティビティの変わった一番の根幹であるというところです。
アヴァンギャルドっていう言葉は常にファッションピープルは好きな言葉です。
特にパリの人達はアヴァンギャルドって言葉が好きです。
このアヴァンギャルドについては、塚原史氏のアヴァンギャルド3部作は結構面白いので、もし今、何が新しいか、それぞれの時代のアヴァンギャルド、新しさをまとめてらっしゃる、もし興味がある人は是非読んでみて下さい。
長くなるので、次に続きます。
シルクの未来とスプツニ子!
GUCCI×スプツニ子!氏のTranceflora - エイミの光るシルクに凸してきたよ。
おそらくシルクは上野で開催したヒカリ展と同じですね。
蚕の卵にサンゴやクラゲの遺伝子を入れて光らせる。
蜘蛛の糸を吐けるモンスターシルクだったり、ここ数年の蚕の進化は凄い物があります。
ちなみに蚕は成虫になると繭を当然破って出て来て使い物にならなくなるので、繭の段階で煮沸して殺します。
毛皮と違ってこの辺に動物愛護団体が絡んだ事を知らないので、人間のエゴだよなと思ったり。
虫と動物は扱いが違うんでしょうが、命としてはね。
それはさて置き、会場でメガネを渡されます。
メガネ越しに見るとこんな感じ。
光る。
やっぱGUCCIセンスいいなと、ヒカリ展での見せ方とは全然違う。
この見せ方を待っていたって感じが。
他にも開発中のバラのシルク、恋のシルク、非常に興味深い。
恋のシルクは着たら惚れるっていう、漫画の世界観なので現実化は相当未来だとして、バラのシルクは凄く期待。
そもそも花の香りが生き物を寄せ付けない効果があるとの事で、それを発生させる虫が可能かっていう突破に凄く高いハードルがあるみたいですが。
生地から香りが出る例はまだまだ少ないので今後に期待です。
スプツニ子!
Have a Herbal Harvest
時代を纏う人
トップモデル、山口小夜子氏。
既に故人ですが。
山口小夜子 「未来を着る人」
の初日に凸してきたよ。
日本の歴史で世界と戦えたトップモデルって山口氏と富永氏のふたりしかいない。
日本初のトップモデル。
とても綺麗で、でも中身は女性というより、女の子と表現した方がいいかもしれない。そんな展示の導入。
日本人形みたいな美。パッツンで。
デザイナーにとってのミューズってこういう人をいうのだろう。
個人的には20世紀で8頭身に着せて表現する時代は終わったと思う。
それでも、やっぱり綺麗。
特に資生堂の香水シリーズ。
[禅]
[琴]
[舞]
モデルとして活動した中心は1970年代〜80年代だけど、山口氏は晩年まで美を保っている。
未来を着る人という意味でも。
故人でも、現代で通用する美しさ。そして今後も通用するでしょう。
半年でダサいと呼ばれる世界を通り越えて。
亡くなっても生き続ける人はこういう人だなって感じる展示でした。
山口小夜子 「未来を着る人」
〜2015年6月28日
絶・絶命展と見えてくる力関係
絶・絶命展。
今回は死の日に凸してきたよ。
絶・絶命展と絶命するデザイナー
リトゥンアフターワーズの山縣氏とミキオサカベの坂部氏プロデュース。
さて、入って最初に率直な素直な感想。
あっ、これ萎むんだ。
ショーで宇宙人と地球出して話題になったリトゥン。
着れる地球出してくるとは思わなかったし、萎むとも思わなかったので、素直にやられたって感じです。
いやいや、あれ洋服なのかよって思う方もいるかと思いますが、30秒でも、1秒でも着れれば服です。過去のゴミのコレクションの時にそう答えてるし。そして現在、アシードンクラウドの玉井氏がリトゥンを卒業した時でもあります。
余談。そもそも何故組んでいたのか?
『無い物ねだりだったんだよね、1+1が2以上になればって。でも1+1は2にさえならなかった。だったら1と1で行った方がいいんじゃないかって。』
パートナー選びは大事。
さて話戻します。死の日、もちろん前回の絶命展と同じく全てマネキン、スタッフさえいません。
予想通りでしたが、個人的に生の日よりこっちの方がしっくりくる。
で、明らかに予想を裏切ってくれた場所が。思わず見た瞬間笑った(笑)
一番広いコーナーの三木氏の作品、増えてる。
いや、これ誰が予想出来ただろう。
三木氏を知らない若者のために、軽い説明。
ファッションの世界三大校と呼ばれるひとつ、アントワープ。
生の日はその3年生の頃のコレクションが飾ってありました。
死の日はまさかの卒業コレクション、4年生のコレクションを追加です。
個人的には、うぉっ、これが伝説のやつか…って感動しましたよ。
それだけにね、前回も書いたけど、何、このゴリ押し。
この作品は死んだんだ、新しく生まれ変わるよ。生の日には再スタートしたブランドの服を置くよ。
じゃないでしょ?
いや、そうあって欲しい。
もうね、演出なのか、スペースの問題なのか、この10年前の作品群をゴリ押ししたいのかは謎ですが、前回ボタンを押すとモデルが動いていて、これと自転車くらいじゃね?生のモデル活かしてるのって言った大月氏の作品、三木氏の作品のせいで、スペース的に正面に回り込むことが出来ないんですよ。
何だろう、このルーキー潰しは…
そのわりに、三木氏の作品の中心にアンドロイドで動く小川氏&石黒氏の作品が置いてあったり。
絶・絶命展の力関係がわかる配置…
これは未来を感じる。
洋服やロボにじゃなく、個人的に未来はロボその物を纏うようになると思う。
イメージとしては数年前のチャラヤン。現実的には介護ロボとして使われているパワースーツが進化した物。
これが未来だと。どのくらい先なのかはまだわからないけど。
あと気になったのは、前回の絶命展イメージキャラクター、サッちゃんの破壊っぷりを思い出させるこれ。
後先考えないこの破壊行為。好き。
この瞬間性こそファッションだと思う。
だって協力、手塚プロダクションだし。
絶・絶命展の裏側がなんとなく見えてくる…
『ファッションは生きものです。そして絶命することにより新たな生命となり次の時代の希望となります。その希望の光を創り出すヒントとなった絶命展を「絶する(=断ち切る)」ことで、僕たちはより大きな、より純粋な光を見てみたいと思いました。絶・絶命展はファッションの生命エネルギーそのものを体感する展覧会です。』
さて、どうなるのか?
三部作だとラストまで見ないと正直、感想って書けないんですよね。
ファッションとの遭遇。
何と出会うのか?
来場者のどの程度が三部作として見るのかはわかりませんが。
気になる方は是非、見届けて下さい。
絶・絶命展〜ファッションとの遭遇
〜2015年3月30日